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トップの提言〜ものの考え方〜

叱って育てるということ

1.叱ることのカラクリ
 私はそのご質問に対してこう質問した。「あなたは社員の長所と短所のどちらがよく見えますか。その答えは「長所はほとんど見えません」とのことであったので「あなたは叱ってはいけません。ヤケクソになっても誉めることを心がけて下さい」と申し上げた。部下と接していて長所が良く見える人は自己肯定出来ている人で、叱ることで人を育てることができる。稲盛さんはまず誉めることはなく叱るだけだという。しかし、社員はどれだけ厳しく叱れたかを競い合い、強く叱られることと自分が評価されていることと対に受け取るのである。社員への愛による利他のエネルギーが強いので、叱る事は叱られた人の喜びになる。しかし、愛ではなく恐怖に支配されている人には、愛ではなく恐怖から来る利己のエネルギーで叱るので、相手は傷つき成長どころか貝になり縮こまってしまう。
2.叱れる人になるには
 なぜ叱るのかを考えてみると、自ずと答えは導ける。相手のために叱るのである。叱られた相手が叱られることで心から反省し、ヤル気になり、より高みを目指す様にならなければならない。もし相手が傷つき、委縮してしまうのであれば叱ってはならない。いや、そうさせてしまう人は心が恐怖に支配されているので、そのクリーニングのために誉める修行をする必要がある。
長所だけを見るように修行し、ヤケクソで誉める。短所ばかり目につく自分にムチを打ち、短所の反対にある長所を見るように心がけ、短所が見えなくなるまで自分磨きをする。そしていつしか長所が先に見えるようになったら、はれて叱れる自分に成長したのであるから、思いっきり相手のために愛情を込めて叱れば良い。
 愛は利他心につながり、恐怖は利己心につながる。利他行を行うには愛の力を高めなければならない。その評価は受け手の心の状態がリトマス試験紙になる。

2011.02.12.


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