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連戦連勝の強者たちにも弱点がある!?

 治乱興亡、つまり覇者の交代が繰り返される歴史のなかでは、「なぜ強者が、その地位を維持できなくなってしまうのだろう」という疑問が、多くの人の心を捉えてきました。これはさまざまな観点から論じられるテーマですが、こと戦いの局面でいえば、次のような指摘があります。
・勝利を何度もおさめて天下を手に出来る者は少ない。逆に身を滅ぼす者ばかりだ(しばしば勝ちて天下を得る者は稀に、以って亡ぶる者は衆し)『呉子』
 では、なぜ連戦連勝の強者が凋落してしまうのか。この言葉は、次のように続きます。
 「戦って勝利を収めることは容易であるが、その成果を守りきることは難しい。天下の強国のなかで、五度も勝利を収めた者は、破滅する。四度勝利を収めた者は、疲弊する。三度勝利を収めた者は、覇者となる。二度勝利を収めた者は、王となる。たった一度の勝利で事態を収拾した者こそが帝となりうるのだ」
 問題は戦う数の多さであり、それが強者を破滅させるというのです。この理由には、おそらく二つのことが考えられます。まず一つ目の理由は、戦いというものが、怨恨感情を残してしまいがちな点。この歴史における象徴的な実例がナポレオンの没落でした。
 一九世紀初頭にヨーロッパに覇権をとなえたナポレオンは、歴史に残る戦の天才として知られています。実際、軍事面だけでいえば、彼に抗せる同時代の相手はほとんどいませんでした。では、なぜそんなに強い彼が没落したのかといえば、その根源にあったのが各国からの「怨恨感情」だったのです。ナポレオンは戦いで勝利した後、しばしば過酷な条約を敵に結ばせ、しかも自分の親族を相手国の君主として押しつけていきました。この仕打ちに周辺諸国の君主や貴族、それに一般庶民までが憤激し、一致団結して牙を剥きます。一対多ではさすがのナポレオンも手の打ちようがなく、没落を余儀なくされてしまったのです。現代でも、アメリカが陰に陽に干渉し過ぎた結果、主要国が反米政権だらけになってしまった南米諸国など、こうした例は枚挙にいとまがありません。恨みは買い過ぎてはならないのです。
 さらにもう一つ、勝ち過ぎの問題がわかる名言があります。兵法書の『孫子』にある次のよく知られた言葉――
・百回戦って百回勝ったとしてもそれは最善の策とはいえない。戦わないで敵を屈服させることこそが最善の策なのだ(百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するのは善の善なるものなり))『孫子』謀攻篇
 なぜ、百戦百勝が最善ではないのか。ここには『孫子』という古典の状況認識が関わってきます。『孫子』を書いたといわれる孫武という将軍が活躍したのは、中国の春秋時代末期。「春秋十二列国」と呼ばれる有力諸侯が覇を競っている時代でした。つまり、ライバル多数の中での生き残りを考えざるを得なかったのです。たとえ百戦百勝ができたとしても、その勝利のあいだに自国が体力や経済力をすり減らしてしまい、百一回目に第三国に「漁夫の利」をさらわれ、滅ぼされては愚かの極みでしかありません。ならば、自分は体力や資源をすり減らさずに――つまり、戦わずに勢力を拡大していったほうがよいではないか、という発想をとるわけです。
 強さの裏にあるリスクを見抜けない者は、結局、凋落は避けられなくなるのです。

2010.6.28.


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