執念について
いったん計画したものは、万難を排して完成させよ。その中で人間形成ができる。
計画とは「将来の意志」である。将来への意思は、現在から飛躍し、無理があり、実現不可能にみえるものでなくてはならない。現在の延長線上にあり、合理的であり、実現可能な計画は、むしろ「予定」とよぶべきだろう。将来への意思としての計画は、本来困難なものなのだ。困難を受け入れ、困難にいどみ、困難に打ち勝つモチーフを、計画は自らのうちにもたねばならない。
計画は、個々人にとっては、自己研鑽の場をつくる高い目標を掲げ、なにがなんでもやりぬく強烈な意思の力によって、群がる障害に耐え、隘路(あいろ)を乗り越える過程で、真の人間形成が行われる。そして、艱難を自らに課し続ける人間のみが、不断の人間的成長を遂げる。
計画とは、結局、自分のものであり、自分のためにある。そのことを各人が自覚したとき、計画は真の力を現わす。
やるべきことが決まったならば、執念をもってとことん押しつめよ。問題は能力の限界ではなく、執念の欠如である。
2009.9.26.