盛和塾119号 「フィロソフィで経営を伸ばす」 石川喜平社長 (1)
感想文:木村加代子
2007年に稲盛経営者賞製造業第3グループの第一位で表彰された時のことを今でも思い出します。一位受賞を知り私達社員が大喜びではしゃいでいた時、喜平社長は真摯に受け止められ、恐縮され、手放しで喜べない、まだまだできていないことがたくさんある、逆に身が引き締まる思い、お褒めの賞というより100年先のこれからももっと頑張りなさいという塾長からの激励の意味の賞と受け止める、とおっしゃっていました。謙虚な喜平社長の様子を見て私は我社が100年企業である理由は正にここ、社長の「ものの考え方」「心」にあると確信したのです。今回の喜平社長のツバメの歴史と、会社にかける篤い思いを読み、稲盛塾長はさすがに喜平社長の本質、見せていない苦悩や葛藤、努力を見抜かれての授賞だったのだと納得しました。
100年企業と言うことは、起業した先人がいるわけですが、たまに、二代目、三代目は楽でいい、土台が最初からあるのだから、と言う人がいます。最初から一代で立ち上げるほうが大変だ、と。しかし、私はその言葉は経営を全く分かっていない人の言葉だと思います。どちらにも大変さはあり、プラス、マイナスがあると考えるからです。
会社の経営とは簡単なことではありません。まして、ものづくり、製造業は装置産業であり原材料・副資材の購入、製造に必要な機械や設備の導入とメンテナンス、各生産工程に人の配置や指導教育、検品出荷、納品までの手配など、営業が仕事を取っても、製品を納め売上回収まで、工場が重要な役割を担っていることは言うまでもありません。ひとりひとりのものの考え方がバラバラでは良い製品を作ることはできないのです。
それだけでなく、経営にはお金の管理・運用なども物や人の管理と共に重要です。
喜平社長も先代から引き継いだものと捨てたものがあると思います。先代が亡くなられ身近に心を許し経営について相談し、答えを導いてくれる人がいない時の孤独と不安は、如何ばかりだったでしょう。特に真剣に会社のことを考える経営者であれば、社長が死を考えたこともあったと正直に書かれていらっしゃるように、まさに命がけで経営している、ということでしょう。決断力と責任感、時代の中で先を読む力と人を束ねる力がなければ、100年以上会社を継続することはできません。喜平社長が社長でなければ今のツバメ工業はないのです。
社長が稲盛塾長と出会い、盛和塾で学び、私達社員と一緒に実践している基本となるのが「経営理念」であり「ツバメフィロソフィ」です。一番大切なことは、ものの考え方であり人であり行動(実践)であると勉強してきました。
私はツバメ工業に入社するまで、全く世の中がわかっていませんでした。社会人(大人)とはいえない未熟な人間でした。ツバメ工業で、製造業の難しさとすばらしさ、封筒業界など紙を原材料にする製造業の大変さとやりがい、などが分かってくると共に、組織の中での自分の役割が認識でき、必要な人間になるために自分はどうするべきか?会社にとって本当の利益とは何なのか?嘘やごまかしでなく、その場しのぎでなく、本当に会社にとってこれでいいのか?と常に自問自答するようになりました。社長の文章を拝見し、私には本当のツバメの人間になるにはまだまだ行動力が足りないと実感しています。能力不足、リーダーとしての指導力不足も感じます。
工場に対しても改善してほしいことや、レベルアップしてほしいこと、組織としての連携や目標に向けて全社一丸となってのモチベーションアップなど社員みんなに希望することもあります。経営方針や業界でのツバメの優位性を改めて読み返し、自分は何をするべきなのか?工場や他の社員に求めるだけでなく、自分は?と考えます。
社員間でコミュニケーションをもっと上手にとる必要があると思います。明るく前向きに物事を考える必要があります。見てみぬ振り、気付かない振り、関わらないように、などの逃げの行動はしません。卑怯な人間になりたくありません。ツバメフィロソフィを実践するにはきれいな心で仕事をしなければならないと思います。愚痴や悪い言葉を発している場所が良くなるはずがありません。
「心を高める」とは何と崇高な言葉でしょうか。難しいことでしょうか。
しかし、私達は毎日を真剣に生き明日に向かって進むしかありません。昨日には戻れないのです。それでは私達はやるべきことをいつやればいいのでしょう。それははっきりしています。気付いた「今でしょ!」
最後に、尊敬する喜平社長の部下であること、105年も引き継がれた、愛すべき社員の集まりであるツバメ工業の社員であることに感謝申し上げます。
2013.4.29.