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社員ブログ

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大分県中津城を訪ねて

2014年07月10日

今回は、黒田官兵衛が最初に九州に根を下ろした中津をご案内いたします。

秀吉の命により九州入りした官兵衛は水、陸の拠点として中津に築城を始めます。
中津は周防灘に面し、中央の情報を入手するのに好立地であったこと(瀬戸内海に早船を配備し3日で中央の情報が入るしくみをつくった)と、攻めにくい城として、1588年より着工します。
この時代は、信長が光秀に討たれた5年度、秀吉の権力が全盛期へと向かう頃でした。


質素、倹約を家臣達にもよく口にしていた官兵衛らしく、こじんまりとした機能的な城(現在のものは中津市が再築しています)だという印象です。
水城と呼ばれているのは、この中津城、今治城、高松城の3城だけのようです。

中津城公園に入り、駐車場の前では、「独立自尊」と書いた石碑が迎えてくれます。これは、慶応義塾の創設者であり、中津の出身でもある福沢諭吉の言葉を引用したものでしょうか。



中津城公園から出て、寺町通りを少し歩くと、福沢諭吉の旧居が観光コースになっています。



そして、ここは中津で最も訪ねたかったところ、合元寺(ごうがんじ)。


知略に富んだ官兵衛ではありましたが、地元で何百年もの歴史を持つ国人との関係には大変苦労します。中でも最も有力だった宇都宮家が、「豊前から今治城へ移封せよ」との下命に対し、武力をもって反発します。
官兵衛は、その時の棟梁、宇都宮16代当主鎮房(しげふさ)を嫡子長政に命じ、中津城内で酒宴の席で謀殺します。また、宇都宮家の家臣が宿舎として利用していた合元寺で討ち果たしました。元々の白壁であったものが血しぶきで真っ赤に染まり、その後何度白く塗り替えても赤く変わるため、壁を赤く塗ったと伝えられています。


写真でわかっていただけるかどうか、門柱には当時の刀傷が、現在も生々しく残っています。



さて、話題が変わりますが、鶏肉消費量の全国1位の地方自治体はどこかご存知ですか。
そーです、大分県なのです。1世帯年間消費量12kgの全国平均に対し、大分はなんと1.5倍の18kg強食べているようです。


郷土料理のとりめしをはじめ、大分市はとり天、中津市はから揚げが有名ですが、せっかくなので寄ってきました。
地元のから揚げ人気店ランキングで上位の「もり山」さん。
揚げる前に付け込むたれが各店異なっており、高いレベルで競いあっています。
注文を受けて揚げますので、受け取るまでに約10分ほど待ちました。


福岡にも中津のからあげの店が多く出店されています。
100g(3個入り)240円ですから、1個80円で食べられるまさに地元のソウルフードといったところでしょうか。

ごちそうさまでした。そして有意義な一日を過ごさせていただきました。

参考URL: 大分県中津城

( 福岡営業所:小野 )


城崎マリンワールド(兵庫県豊岡市)

2014年07月04日

ゴ-ルデンウィークに家族で、城崎マリンワ-ルドに行った時の写真です。

ちょっと紹介しますと、兵庫県豊岡市の日和山(ひよりやま)海岸に本拠地を置く、水族館です。
イルカやアシカのショ-が行われる他、イルカとの触れ合いなどの体験活動などが行われています。
水族館でありながら園内にはアジの釣堀があり、釣ったアジをその場で天ぷらにして食べることの出来るユニ-クな催しも行われていました。


クラゲは、少し苦手で・・・素通りです。(^_^;)


城崎マリンワールドは、大阪の海遊館等に比べると大きくないのですが、オオサンショウウオがかなり大きく、一番迫力あるのが、セイウチコ-ナ-で相当大きなセイウチがいました。

海岸沿いなので、カメラを持っている方々がたくさんいました。(まじで絶景なんですよ)。
私の子供も、写真を撮りまくっていました。

イルカショ-は大興奮です。


いい思い出になりました。
機会があれば、遊びに行ってみて下さい。


参考URL: 城崎マリンワールド(兵庫県豊岡市)


( 大阪営業所:高橋 )


チェリーたい!?

2014年06月26日

6月21日の会議のあと、飯田橋から2つ先の四谷にある季節ごとのフルーツたっぷりのパフェで有名なフクナガフルーツパーラーさんにチェリーパフェを食べに行きました。このチェリーパフェは期間限定で今しか食べられないのです。


チェリーがレイニアというアメリカンチェリーの最高峰といわれる品種で、収穫量が少なく日本に入ってくる量もその分少ないのです。
フクナガフルーツパーラーではこのレイニアがシャーベット状になってたっぷりたっぷりグラスに!その上に大きなレイニアがどっさり!
笑顔にならない訳ないです。(*^^)v 美味しくて美味しくてとても満足。
見た目もゴージャスで味も最高でした。


そして、四ッ谷駅までの帰り道、行列のできている「たいやき わかば」に寄り道しました。


しっぽまであずきがいっぱいの丸々太ったたい焼きをいただきました。
できたて熱々で、とても美味しくてまたまた満足♪

普段は食べられない美味しいものを見て、食べて、現実を忘れ、幸せなひと時でした。


参考URL: フクナガフルーツパーラー / たいやき わかば


( 東京営業所:木村 )


弾丸!日帰り神戸へ!(w‐inds.野外ライブ)

2014年06月20日

6月15日、w‐inds.ファンの友達のお誘いでリリースイベント&握手会に行ってきました。
朝7時30分発の高速バスに乗り、揺られること約3時間・・・
兵庫県神戸市に到着しました。地元とは違い、高層ビルの立ち並びにアタフタ、、、、(^o^)


電車に乗り、会場となっている西宮ガーデンズへ。
着いて真っ先にイベント広場へ行き、なんとか整理券をゲット!
もう無いのかと思ってたけど貰えてよかったです。


開演までまだまだ時間があったのでガーデンズ内のお散歩!
店内広すぎて疲れたけどいい運動になりました。
集合時間が来てイベント会場へ。
整理番号順に呼ばれるので待ち時間が長いっ(^_^;)
野外ライブなので炎天下の中大変でした。
だけど、スタッフの方がみんなにうちわを配ってくれ、気遣いが
嬉しかったです。


番号順に呼ばれ、私たちの場所はステージの結構近くでした。
時間が来て生w-inds.が出てきてとても興奮しました。
歌はあまりよく分からなかったけど、十分楽しめました!!


約30分間のミニライブの後は握手会!
順番に呼ばれ、メンバー全員と握手しながら一言だけだったけどお話できました。
芸能人と握手出来るなんて夢にも思ってなかったのでとても嬉しかったです♪
また行きたいな、、、と思いました。
イベント終了後、高速バスの時間まで余裕があったのでバス停の近辺を探検しました。
19時50分発の高速バスに乗り、地元愛媛県には23時前に着きました。

今回はバタバタしていてあまり観光出来なかったけど、次に行く時は観光もしたいです♪

参考URL: 西宮ガーデンズ

( ヘリオスチーム:井原 )


徳島探訪 「出島野鳥園」

2014年06月13日

5月の終わり頃、友人から徳島県にレンカクが飛来しているという連絡があったので、その週末に行ってきました。場所は徳島県那賀川の河口にある出島野鳥園です。


野鳥園に到着すると、既に何人かカメラを構えておられましたが、今は姿が見えないとのこと。
これは見るまでに時間がかかるかもな、と思いましたが、30分もしないうちに出現。水草の上を歩いていました。

☆レンカク
 体長:55cm
 稀な旅鳥として水田・湿地などの淡水域に渡来する。
 長い尾が特徴的。


予定よりも早く見ることが出来たので、「あすたむらんど徳島」と「脇町」に寄り道をして帰る事にしました。


☆あすたむらんど徳島
 板野町にある大きな公園。
 有料の施設などもあるが、無料エリアだけでも
 十分楽しめます。
 写真は「冒険の国」エリアの「わんぱく砦」。
 子どもと一緒に登りました。


☆脇町
 うだつの町並み。
 夕方5時を過ぎていたのでお店などは
 閉まっていましたが、
 観光客が居なかったので、町の雰囲気を
 堪能できました。


参考URL: 「出島の野鳥たち」 / 「あすたむらんど徳島」


( 高速チーム:田淵 )


「べた踏み坂 」(鳥取県 “ 江島大橋 ”)

2014年06月09日

6月のはじめの休日、釣りの大会で鳥取県の米子市にある弓ヶ浜に行ってきました。


朝早くからの大会で頑張りましたが、残念ながら初戦敗退でした。
時間ができたので米子市の隣の境港市へ向かい、少し観光を楽しむことにしました。
境港市で有名なのは「ゲゲゲの鬼太郎」、「松葉ガニ」、「牛骨ラーメン」などいろいろありますが、少し気になっている場所があったのでそちらに向かいました。


行ったのは、軽自動車のCMで有名になった「べた踏み坂」。


この橋は、鳥取県境港市渡町から島根県松江市中海にある江島という島にかかる「江島大橋」で、全長が約1.4km、勾配は、島根県側が約6%、鳥取県側が約5%で高さ44.7メートルまで登ります。以前は、中浦水門という跳ね橋があったのですが、船舶の通過時に7~8分ほど寸断されるため交通上の障害となっていたのと、大型の車両が通行できなかった問題を解消するために2009年にこの「江島大橋」が開通したそうです。


橋を渡ってみた感想は、少しジェットコースターのような感覚があり、一番高いところから観る景色はとてもきれいでした。それと「べた踏み」はしなくても登れますが、冬の寒い時期は、凍結するそうなので登るのは難しいと思います。建造物としてはたいへん迫力を感じました!!


参考URL: 鳥取県 “ 江島大橋 ”

( 輪転チーム : 佐野 )


白川課長の結婚披露宴 ♪

2014年06月07日

新郎(57歳)・新婦(50歳)
青春まっただ中です!!


( 撮影/記事:社長 )


食べ歩きで四国制覇を♪ ~ 愛媛県四国中央市編 ~

2014年05月28日

新緑の季節です!私は生まれ月が5月なのでいつも5月は元気いっぱいです!
5月病知らずです( *´艸`)

さて、今回は食べ歩きの第三弾!
愛媛県四国中央市川之江町にある♡カフェLamp♡さんへ行ってきました!
四国中央市は、我がツバメ工業の始まりの場所でもあります。
現在本社のある香川県観音寺市とお隣の場所です(*’ω’*)


♡カフェLamp♡さんは、国道11号線沿いにあります。
私もよくこの道を使うため以前からおしゃれな佇まいに心惹かれており、ずっと訪れたいお店でした。
道路沿いから見える様子です。
看板が猫のシルエット


建物は白を基調にしており、お店の入り口では、
こんな看板がお出迎えしてくれます♪


店内の様子です(=゚ω゚)ノ お店の名前の通りランプが店内にいくつか飾られていました!
ゆったりとした席の配置になっているので、女子会、デートなんかにもってこいだと思います。落ち着いた感じです(∩´∀`)∩


ふと横に目をやると中庭が見えます。
同じものを置いてもきっと私のセンスではこうはならない( ;∀;)
今後の参考にするためにじっくり眺めてきました!(*^^)v


さてさて、この可愛い店内の様子に惚れ惚れしていると、食事が運ばれてきました。
私がオーダーしたものは本日のパスタランチ!
まずはサラダです。
シーザーサラダでした。
私はシーザーサラダの酸味が少し苦手だったのですが、こちらのシーザーサラダはすごくマイルドでとがった酸味が一切ないのです!
これは美味!✨お野菜も新鮮で大変美味しく頂きました(*´з`)


そしていよいよメインのパスタ!
正式な名前を忘れてしまったのですが(;´・ω・)
チーズとブラックペッパーのパスタでした。
チーズなんて、食べている途中に飽きてしまうわ!✋と、思いきや!!!!!!!!
全然飽きません!チーズのうまみと、オリーブオイルのうまみ、そして絶妙なブラックペッパーの
アクセント!麺も具にあった硬さで◎!
本当においしかったです!
なかなかこのレベルのパスタには出会えないと思いました。常連決定です(*^^)v

ほかにもランチタイムにはカレーもありました。こちらも人気でしたよ~|д゚)
こちらの場所は海沿いにあり、カウンター席に座ると海を眺めながらの食事ができます。
今回は飲めなかったのですが、オーナー自らがジンジャーを煮詰めて作るジンジャエールも絶品だそうで、次回は是非飲んでみたいと思います。
是非、みなさん一度行ってみてください(=゚ω゚)ノ♪

参考URL: 食べログ・愛媛

( 本社事務:太田 )


「寒川豊岡海浜公園」(四国中央市寒川町)のご紹介

2014年05月19日

今回の四国中央市名所紹介第三回は名所というには、ちょっとマイナーな寒川豊岡海浜公園を紹介します。


海浜公園という大層な名前がついてますが、行ってびっくり、ただの砂浜です!
しかし侮るなかれ、ちゃんとにWikipediaも載ってるんですよ
最近では夏になると「SUN BURST」とかいう野外ライブイベントもやってたり、映画『書道ガールズ』の舞台にもなったりしてるそうです。


この記事を書く時に調べてて知ったのですが、近くに埋立ての工業団地ができたせいで潮流が変わり砂が流出し、今は人口の砂浜になってるんですね。

何年か前、関西に住んでいた時、久々に四国中央市の実家に戻ると近所の海岸が埋立てられて、知ってる景色がなくなっててショックでしたが、この海浜公園も自分が子供の頃遊んだ場所とはもう違うんだと思うとちょっと寂しかったです。

まあ、今は今で良いところもあるのでそれでよしです!はい。

( 本社営業部:寺岡 )


戦国武将立花宗茂の居城「柳河城」を訪ねて

2014年05月10日

今回は、福岡で根強いファンのいる、私の尊敬する武将の一人立花宗茂をご紹介します。
彼は、忠義を貫き一生を終えた名将として柳河城(現在の福岡県柳川市)城主として領民に愛されました。

彼は、大友家の家臣として岩屋城(現在の福岡県太宰府市)を守る城主高橋紹運(じょううん)の長男として誕生します。
ときは戦国、信長が勢力を拡大し、中国は毛利家が、九州は薩摩に島津家、肥前の龍造寺家、中津に大友家が凌ぎを削る時代でした。

そして、幼少から優秀な器量を高く評価していた同じ大友家の家臣、立花道雪の養子として立花城(福岡県新宮町)に入り、一人娘の誾千代(ぎんちよ)と後に夫婦となります。
誾千代は一人娘で育てられ、さらに家督を父道雪から幼少時に譲られていたこともあり、男勝りの性格がゆえに夫婦仲は終生よくなかったと言われています。

その後元服を終えた頃には、九州でも戦がますます激しくなり武勇でも頭角を現し始めます。
南から島津が攻め上がり、岩屋城の実父紹運を討ち、不利な局面を迎えた時に救ったのが大坂より駆けつけた秀吉でした。その恩を後世もずっと宗茂は持ち続けるのです。

信長が本能寺の変で討たれた後、秀吉の天下となった時に、「東の本多忠勝、西の立花宗茂」と賞賛され、柳河城の城主として大名に取立てられることになります。
柳河城は大火に見舞われ、現在では当時を思わせるものはほとんど残ってなく、広場と石塔が残っています。



少し見づらいですが、となりには柳川高校のグランドがあって、球児が練習に励んでいます。確か、香月投手がこの高校の出身でしたね。



それから後、恩義を受けた秀吉がこの世を去り、石田三成の西軍と徳川家康の東軍に分かれて関ヶ原で合戦がおこり、秀吉の子秀頼に味方し西軍へついた宗茂は敗軍となり苦難の道を歩むことになります。
この時、忠義より大勢に乗るため家康につくよう正室誾千代は訴えたにもかかわらず宗茂は頑として聞き入れなかったという逸話があります。

戦国の習いにより家康から改易され、城の没収、それから浪人に堕ちて約3年間過ごすことになります。
城を去る時、領民が沿道で涙ながらに見送ったとの記録があるくらい人望が篤い人柄だったようです。
京での浪人時代には正室の誾千代が病により死去します。たとえ不仲の妻といえども晩年は篤い弔いをしています。
柳川市内の良清寺に誾千代は眠っています。
戒名を手がかりに墓石を探しましたが、残念ながら見つかりませんでした。



そして本多忠勝の目にとまり、秀忠の相伴衆(将軍の話し相手)に抜擢されます。
数年前に敵味方に別れ戦った敵将の側近に取り入れられるわけですから、人生はおもしろいものです。
福島の棚倉城主を経て関が原から約20年の後、やっと旧領の柳河に復帰ということになります。
立花宗茂ほど義に生きた武将はいないとまで評された逸材ながら、実子には恵まれませんでした。
ただ、周りの人たちがその生き様をしっかり受け継ぐことができたことも宗茂にとって幸いだったとも言えるのではないでしょうか。

なかなか彼の生き方は真似できないですが、学ぶことは数多く、魅力の尽きない人物であるのも間違いないことでしょう。
久しぶりに柳川の街を歩きましたが、充実した時間を過ごさせていただきました。


参考URL: 柳川城(福岡県柳川市)

( 福岡営業所:小野 )


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