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社員ブログ

山口県下関市を訪ねて

2015年07月08日

梅雨なかば、紫陽花が一年の役目を終えようとする時期。
日本列島をすっぽり雨雲が覆う7月4日のアメリカ独立記念日と、そして我が家では、次男の27回目の誕生日を迎えた日、下関を訪ねました。今回も雨天につき、全体に暗い写真となっておりますこと、ご容赦くださいませ。


目的は、維新の功労者、久坂玄瑞、高杉晋作に触れるためであります。
まずは、縁の下で資金面を支えた白石正一郎の旧宅跡からスタートです。彼は、廻船問屋の家業傍ら、自らも維新の志士として活動を続けます。ちなみに、坂本竜馬もお龍とともに宿泊したのが記録されています。
歴史を読む時、スポットライトの当たっている人物同様、物事を成すときの影の力に心底感銘いたします。



高杉晋作が奇兵隊を組織した場所。想像を絶するエネルギーがこの地より全国に発信されます。現在は中国電力の敷地となっておりますが、当時門前から海道があって、志士たちが行き来していたようです。


次に光明寺です。
ここは、皆様ご承知の通り、久坂玄瑞が異国の侵略を防ぐために終結した場所。
柱には、意気盛んな若者によるものか、刀傷がいくつも風化された状態で確認できます。



1863年、関門海峡を見渡せる場所より、異国船に向かい砲撃を開始します。
結果的には、逆襲され敗北。このとき、久坂玄瑞22歳。なんと大学を出たくらいの若者が英、米、蘭の3国連合を相手に日本国の行く末を心配し、立ち上がるわけですから頭が下がる思いがいたします。異国の侵略を許せば、上海の二の舞になり、主権を保てなくなる。吉田松陰の考えをしっかりと受け継ぎ、真摯に向き合い戦い続けるのです。
朝廷と幕府の綱引きに犠牲になっては明るい将来はない。大砲を弾くときに確固たる信念が感じられます。
そのときの前田砲台跡が、残っています。


現在は目の前にマンションが建っており、海峡が見えづらいですが、当時はこんな風景だったのでしょうか。むこうに見えるのは、北九州市門司です。


関門橋も霞んでいます。(残念)


本降りの雨となってきましたので、屋内へと移動いたします。
ここは、下関の台所唐戸(からと)市場です。地名の通り中国の玄関口として栄え、魚介類が周辺海域よりこの地に集まってきます。



ちなみに、ふくは日本一の扱い量で有名な市場で、週末は一般客で賑わいます。
また、豊後水道で揚がるふくは四国よりも高値で取引されるため、下関に運ばれるようです。
新鮮な原料をつかい、握りすし、加工品の店が所狭しと並んでいます。
すしを出している店だけでも20数店舗ありますでしょうか。



全般に手ごろな価格で提供していますので、家族連れ、グループで活気に満ちています。
子供が小さい頃に何度か来ましたが、今も昔も変わらない下関をご紹介しました。
機会があれば、ぜひ海の幸をご賞味ください。


参考URL: 山口県下関市ホームページ(歴史) / 唐戸(からと)市場

( 福岡営業所:小野 )


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