吉田松陰に触れるため、今回は萩まで行ってきました。大河ドラマネタで恐縮ですが、暫しお付き合いくださいませ。
至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり。
何故、この小さな山村に日本国を動かす壮大なエネルギーが生まれたのか?
まずは、簡単に萩市の歴史を整理します。
中世~1500年中頃まで大内氏の支配下でしたが、毛利家の勢力が台頭し中国地方はその後江戸時代まで毛利家が萩城主を歴任します。
(建築物は現存しておらず、石垣のみが残っています。)
そして江戸時代末期、ペリーが来航し日本に開国を迫ることから国内に尊王攘夷運動が湧き上がってきます。
萩では、藩校の明倫館は身分制限が厳しかったのに対し、私塾の松下村塾は門戸を幅広く開放し、吉田松陰の元に優秀な人材が集まります。
松陰神社に保存されている松下村塾と松陰の幽囚時代の邸宅です。
門下生の伊藤博文の旧邸宅には、案内係の方が常駐しておられ、詳しく説明をしてくださいます。
彼は、明治維新後28才で兵庫県知事、45才で初代内閣総理大臣を務めており、69才時に満州ハルピンで抗日の暴漢により落命。
玉木文之進の旧宅です。彼は、松下村塾の創始者であり、松陰(虎二郎)の叔父にあたります。松陰の才を最初に見出した人物でもあります。
また、松陰なきあと明治へ時代は変われども、政府への不満は収まらず、1876年(明治9年)におこった「萩の乱」の責任をとり自刃します。
こちらは、毛利氏の菩提寺「東光寺」。
安政の大獄で松陰は井伊直弼により斬首刑に処せられた後、京都守護職会津藩主松平容保等の排除を求めた「禁門の変」で討ち死した萩藩士が多数埋葬されています。本堂まで三門ある雄壮な寺で、歴史を感じることのできる松が印象的です。
写真撮りがひと段落して、売店で夏みかんソフトクリームを食べようとしてた時。
す~と近づいてきたひとりの女の子。
「おじちゃん、何してるの?」と言い終わらない内にシャッターをカシャ!
おそるべし、長州人。これが純粋さとか一途さを表す全ての答えかも知れません。(^o^)v
参考URL: 山口県萩市(歴史)
( 福岡営業所:小野 )