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●古城跡、秋月を訪ねて(福岡県朝倉市)

2014年09月22日

北部九州地方は、8月の日照時間が平年の3割から4割程度しかなく、梅雨から一気に秋に進んでしまったような気候でした。皆さんのお住まいの地方ではどうだったでしょうか。
夏野菜の高騰だけでなく、雨が多い影響から冬野菜の準備が遅れ、今年いっぱいは野菜不足が心配されます。
そんな中、少しの晴れ間に福岡県南部、筑前の小京都と呼ばれている城下町「秋月」を訪ねて参りました。

まずは秋月城跡からスタートです。
大手門の手前に土砂の流出を防止するための瓦坂。瓦を土に縦に埋めています。
そして、前のお堀沿いの通りは杉の馬場と言われ春は桜、秋は紅葉で地元の人々を癒してくれる名所となっています。



大手門をくぐり奥へ進むと黒田秋月藩初代藩主黒田長興(ながおき)公を祀る垂裕(すいよう)神社、長興公の居城跡は秋月中学校に姿を変えています。



ここで、初代秋月藩主、黒田長興公について触れておきます。
長興公の父は、現在大河ドラマで松坂桃季が演じている福岡藩初代藩主の黒田長政公です。つまり官兵衛の孫にあたります。
長政公は蜂須賀小六の娘糸姫を娶り女子が生まれましたが、その後黒田家は徳川家に近づくため、糸姫を離縁。その後家康の養女栄姫(えいひめ)を正室として迎えることになります。そして栄姫との間に三男、二女が誕生し、長興公は三男として健やかに育ちます。
長男忠之よりも文武に優れ人望に篤き三男長興を福岡藩主の後継にと考えていた長政公に、「黒田は嫡男が後をとるのが累代の習い」と頑として譲らなかったのが福岡藩の主席家老栗山善助(後の大禅)だったという逸話が残っています。
その諫言を受けた長政公の遺言により、福岡藩は嫡男忠之が後を継ぎ、福岡藩52万石から三男長興に秋月が分与され、秋月藩5万石が誕生するという流れになっていきます。

今回の目的のひとつ、長興公が母栄姫を祀るため建立した大凉寺(だいりょうじ)。
ここには栄姫の墓石が大切に美しく保存されています。
管理されている方々のご尽力に頭が下がる思いがしました。



次の最も大事な目的であります古心寺(こしんじ)。秋月藩黒田家は明治維新を迎えるまで12代続きますが、歴代の藩主、室、子の墓があります。長政公の分骨の墓があるのに感動しました。



秋月の中心部は東西2kmほどの町ですので、4時間くらいで歩けました。おいしい空気と風情のある街並みは、最高のいやし空間でした。
秋月黒田家の17代当主という方が書いた本を読みましたが、守り続けることとはどういうことなのか。伝えていくことはどういうことか。
親が子を慈しむ心、子が親を大切に思う気持がしっかりと代々受け継がれていることの素晴らしさを感じることができ、わが身において学ぶことができました。
今後も先人の足跡に触れる機会を得たいものです。


参考URL: 秋月城(あきづきじょう)

( 福岡営業所:小野 )


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